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静岡県静岡市 駿河トラッド 伝統工芸品のご紹介

静岡県静岡市 静岡特産工業協会
2025.01.6~02.6

静岡市の地場産業としての基礎ができたのは、江戸時代になってからだと言われています。
徳川三代将軍「家光公」が静岡浅間神社造営のために、全国各地から大工、彫刻、漆などの名工を集めたことでした。
彼らの知恵と技は、この地で受け継がれ、磨かれて、四〇〇年以上もの長い間、暮らしを豊かにする魅力的な品々をつくりだしています。
しかしながら、歴史と魅力があるが故に、いつしか貴重品や美術品のように扱われ、人々の暮らしから離れてしまった「伝統工芸品」。
本来は使うことで暮らしを豊かにできる実用品だったはずです。
美しいだけでなく、実は丈夫で、修理もできて、長く使える、これからの時代に求められる特徴を合わせ持つ商品でもあります。
私たちの願いは、もう一度、「伝統工芸品」を「ずっと使いたくなる日用品」にすること。
「駿河トラッド」は、静岡市の職人がつくる伝統工芸の商品を紹介します。

駿河竹千筋細工

自由な発想で使いたい繊細優美な逸品。 国指定の伝統的工芸品にもなっている駿河竹千筋細工の特徴は、 他産地の竹製品が平らな竹ひご(平ひご)を編んで作るのとは対照的に、 細く丸く削られた竹ひご(丸ひご)を組み上げて多様な形をつくるところにあります。 職人がその技を駆使して、竹ひごを一本一本組み、千筋にして商品を完成させます。 しっとりとした滑らかで繊細な曲線は、和風・洋風を問わず、 私たちの日常生活の身近な道具やインテリアとして、落ち着いたやわらかな時間を醸し出してくれます。

静岡挽物

人の手にしっくり馴染む美しき曲面。 轆轤(ろくろ)を回しながら様々な刃物を使い、 木をくり抜いたり削ったりしてつくる挽物。 静岡市における産業としての挽物の起源は、1864年(元治元年)とされています。 一本の木材からあらゆる曲面を削り出す挽物の技術は、家具や楽器、 雛具などの地場産業に重宝され、その発展に貢献しながらさらに磨かれていきました。 現在は装飾や部品にとどまらず、静岡挽物として、 現代的な解釈を加えた魅力的な商品を生み出しています。

駿河和染

目とこころが喜ぶ、暮らしを彩る染め物。 麻機、賤機、服織など布に関する地名が多い静岡市は、古くから織物が盛んな街でした。 この地の染物の源流は、三代将軍家光の時代に集められた職人の中に、 様々な和染の技術を持った人たちがいたことに端を発します。 駿河和染は、そうした古来の技法を継承しながら、新しい色彩芸術を目指した染物の総称で、 「型染」「筒描き」「蝋けつ染」「草木染」「茶染」など様々な染め方が存在します。 型絵染で人間国宝に認定され、生活美のデザイナーとも称される芹沢銈介氏も静岡市の出身です。

駿河漆器

日常を豊かにする「用の美」を楽しむ。 静岡の漆器工芸の歴史は古く、今川時代、静岡ではすでに大名のための漆器づくりが始まっていました。 漆器が産業になったのは、徳川三代将軍家光の時代。浅間神社造営のために、 全国から腕利きの漆工が集められたことがきっかけです。彼らが温暖なこの地を気に入り定着。 その後、その伝統をただ守るのではなく、発展させていくために、新しい試みにも果敢に挑戦。 飾り物ではない、使ってこそ活きる実用品として、暮らしの質を高める魅力的な商品たちが誕生しています。

静岡の木工

やわらかな温もりをインテリアに。 江戸時代に全国各地から集められた漆工や大工・指物師・彫刻師などの名工たちの伝統技術、 技巧が時代を経て、鏡台・針箱へと引き継がれ、 後に茶箪笥などの大型の置き家具なども作られるようになっていきました。 手ざわり、温もり、美しさ。全国有数の家具産地である静岡の木工職人は、 木の活かし方、魅力の引き出し方を知っています。 その知恵と技術が詰め込まれた木製品は、経年変化も楽しめ、 ただそこにあるだけで、やすらぎと満足感を与えてくれます。

賤機焼

食卓で花開く、独特の味わいと存在感。 徳川家康の窮地を救ったのが節分の大太鼓と「鬼は外、福は内」の声。 これにちなんで家臣の太田七郎右衛門が、内に福面を描き、外は鬼瓦を模した三つ組の盃を献上。 喜んだ家康から「賎機焼」の称号を与えられたとされています。 この三つ組の盃こそ、賎機焼の代名詞とされる「鬼福」です。 賤機焼は、文政の終わり頃に衰退し、明治に入り、太田萬治郎氏、 さらに明治中期に青島庄助氏に再興を依頼し、現在まで受け継がれ、 生活の中の工芸として愛されるようになりました。